2020年6月14日 主日礼拝

「裁くのはイエスさま」

中村 慎太

ヨブ記 第27章1-10節
コリントの信徒への手紙一 第4章1-5節

 

 「わたしを裁くのは主なのです。」
 伝道者パウロはコリントの信徒への手紙一で、そう伝えます。
 今日私たちが聴いたのは第4章のはじめです。その直前である第3章までは、コリント教会の人々が世の知恵や知識に頼ろうとしていたことについて話されていました。伝道者パウロは伝えました。「自分の知恵、人間の知識に頼ることはもうやめよう。大切なのは、私たちの想像をはるかに超える、主なる神の知恵による救いではないか。主の知恵は、主イエスキリストの十字架と復活による救いではないか」。
 そして第4章の初めでは、「裁く」ということについて話されます。
 知恵や知識と、裁くということは関係があると言えるでしょう。裁くためには、知恵や知識が必要になると、私たちは思うのです。そして、私たちは、自分に知恵や知識があると思えば思うほど、自分が誰かを裁くこともできるように考えてしまいます。
 私たちは、裁判官のように誰かを裁くことはあまりないかもしれません。しかし、私たちはここで伝えられるような裁きを、知らず知らずのうちに行ってしまうものです。
 第4章3節、4節の「裁く」という言葉、新約のもとの言葉は、裁く以外にも訳せるものです。例えば、「取り調べる」や、「判断する」「批判する」「詮索する」「罪を指摘する」といったものにも訳されるのです。「裁く」という元の意味から、幅広い意味を持つことになっている言葉です。
 パウロがここで言った、裁く、ということは、この世での裁判で行われるような裁きだけを指しているのではありません。人々の判断、批判などのことも指しているのです。
 私たちも、何かを判断する時、批判する時があります。または、誰かのことを判断し、指摘し、ときには、裁くことがあるのです。
 「あの人はこういう人だ」とか、「あの人はあの人に比べてこうだ」といったように。
 さらには、信仰の事柄についても、私たちは何かを、誰かを、判断し、裁くことがあります。「教会はこういうものだ」「あの人の信仰はこうだ」。さらには、「あの人は救いから遠い」、といったような主なる神にしかできないような思いまで、心に抱いてしまうことがあるのです。
 しかし、パウロ自身はそのように裁かれても少しも問題ではないと言い切ります。彼は、人の裁きを、一蹴している、はねつけているのです。
 コリントの信徒への手紙一第4章 3節。
 「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。」
 コリント教会には、伝道者の誰につくかで、党派争い、グループ抗争がありました。「わたしはパウロ先生につく」「わたしはアポロ先生につく」といったように。そうすると、パウロを裁くような言い方も起こったでしょう。「パウロは正しくない」といったように。または、パウロ自身、伝道の歩みで迫害を受け、いわれのない裁判に引き出されることもあったはずです。
 しかし、そのようなことは、パウロ自身にとって問題にならない。彼の伝道の歩みに、なんの影響ももたないのです。
 パウロは、自分自身も裁こうとはしません。さらには、自分自身を主の目に正しいものともしません。4節。
 「自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。」
 自分が義とされているか、主の目に正しい者とされているかも、パウロは判断しないのです。それを判断し、裁くのは主イエスなのです。
 裁きは、主イエスに帰するものです。だからこそ、パウロはコリント教会の信徒に勧めます。「裁かないようにしよう。裁くのは主イエスであり、主イエスがこの世界を完成させる、再臨の時になさるのだから」と。5節から。
 「ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」
 裁き主は、主イエスなのです。その方以外に、私たちを本当に裁くことはないのです。
 では、その主イエスご自身は、裁きについて何とおっしゃっていたでしょうか。
 ルカによる福音書で伝えられている、主イエスの言葉をお聞きください。
 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
 ルカによる福音書、第6章37節からの主イエスの言葉です。この言葉を、直接耳にした弟子から、パウロもこの主の言葉を聴いたはずです。
 主イエスご自身が言われました。「人を裁くな」。人を裁くお方である主から、あなた自身が裁かれることがないように、人を裁かないようにしなさい、と言われたのです。
 そして、主イエスが続けて言われたこともまた大切です。
 「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。」
 イエスさまの、強烈な表現です。
 実は、主イエスは、主の愛を教え、そのように愛することをお命じになった後、この「裁くな」ということを言われました。ここで表される主なる神の寛大さは、主の愛の大きさも表しています。
 あなたが裁かず、与えるなら、神さまからの恵みが、祝福が、愛が、押し入れ、揺すり入れられ、あふれるほどに量りをよくして、私たちのふところに入れてもらえるというのです。主なる神さまは、私たちを裁く方です。しかし、そのお方は、私たちが思う以上に大きな寛大さを、愛をお持ちなのです。
 その神さまの救いの大きさを、愛を、パウロもまた知っていたことになります。
 パウロは自分を裁かない、と言い切りました。これは、パウロのことを知っていれば驚きながら読めることです。彼はかつて主イエスの体なる教会を、つまりは主イエスその人を迫害した人物です。
 もし、パウロがそんな自分の罪に目を落とし続けたら、彼は自分を自分で裁いたことでしょう。主イエスは自分を裁き、滅ぼされるだろうと、思い詰めたに違いありません。
 しかし、パウロは自分の罪に、とどまることは、もうしませんでした。
 それは、自分の罪を忘れたわけではないのです。彼自身は、自らの罪も弱さも、手紙の中で記す人物です。しかし、彼はだからと言って、主イエスが自分を裁くものだと、自分で判断することもなかった。彼は裁きを、主に任せています。
 パウロが記す手紙において、再臨の主イエスが審判を下すことは、実はあまり丁寧に描かれていません。誰がどのように裁かれるか、パウロは多くを説明しようとはしないのです。
 ただ、パウロはその主の時を、主からおほめに与る時として心待ちにしているのです。
 パウロは、罪びとの一人、その最たるものであった自分をも伝道に用いてくださる、主の知恵の深さを、愛を知らされています。罪のどん底にいた自分をも救われる主イエスの、救いの御手の大きさを知っているのです。
 その主イエスの救いは、主ご自身が裁かれることで成し遂げられました。
 主イエスは、ご自身が裁くどころか、ご自身が取り調べられ、裁かれる方となってくださいました。私たちを愛して、私たちの罪を贖い、背負ってくださったからです。裁くな、と言ってくださった方が、本当に裁きをお捨てになった。そして、反対に裁きを受けて十字架にお架かりになられた。それは、私たちが裁かれて滅ぼされるのではなく、主に赦されて新しく生きるためのことだったのです。
 これこそが、私たちに示された、神さまの秘められた計画でした。パウロは、この計画を委ねられました。その神さまのご計画、主イエスの十字架による救い、福音を人々に伝える者とされました。
 コリントの信徒への手紙第4章 1節から。
 「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。」
 私たちこの教会の群れも、パウロと同じ、主イエスの弟子であり、主に仕え、神の秘められた計画、福音を委ねられた管理者です。パウロと同じように、主のご計画の管理者として、その計画によって救われた者として、福音を伝えることで、主に仕えます。
 忠実である、とは、信仰深くある、とも訳せる言葉です。私たちも主に忠実に、信仰深くありたいと願います。
 私たちは、自分で神のご計画を、判断し、批判することはありません。自らも、誰かを罪に定めることもありません。主イエスが言われたからです。「裁くな」。その弟子パウロが伝えたのです。「裁くのは主なのです」。私たちは、もう裁きをすることも、裁かれ滅ぼされることに絶望することも、放棄します。捨て去ります。
 私たちは、ただ主のおほめに与ることを求めつつ歩みます。再臨の主イエスによって、天の国に入れられること、主にある永遠の命に与ることを祈り求めるのです。これこそが、主イエスの伝える押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる恵み、愛です。
 私たちは、主のおほめに与るように、祈り求めましょう。再臨の主イエスにであった時、「よくやった」とおほめに与れる時を心待ちにしましょう。そのように、主に仕える日々を、新たに始めましょう。

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