2012年1月22日 主日礼拝

「死の歴史に抗する神の物語」 川﨑 公平 牧師

ルカによる福音書 第7章11-17節

ナインという町の門から、既に息絶えた若者の遺体が担ぎ出されてまいります。若者と訳されております。この福音書の書き方からすると、まだ結婚はしていなかったようです。当時は今よりもずっと早く結婚したでしょうから、この若者というのは、中学生、高校生、或いは20歳前後であったでしょうか。
既に父親は死んでいました。母親と、その息子とふたりきりの生活であった。そのこともまた、町の人びとにとっては悲劇的なこととして覚えられていたに違いありません。その息子にも先立たれるということが起こりました。激しい衝撃を与えたと思います。残された母親の悲しみはどんなに深かったでしょうか。その母親の年齢も案外若かったかもしれません。そこに座っている恵牧師や荒木牧師ぐらいの年齢であったのではないかと思います。
この事情を知る町の人びとも同情の心を寄せ、大勢の人が付き添っておりました。しかし、ほとんど慰めの言葉をかけようもありません。ただ共に泣くだけであったのではないでしょうか。しかもこのような情景は、実は今も至るところで起こっているはずのことです。この教会でもしばしば葬儀が行われます。しかし私どもがよく承知しているのは、若い子どもの葬儀をしなければならない親の悲しみの深さです。
この葬列に向かい合うようにして、その反対側から、主イエスが弟子たちや群集と一緒にやって来られました。まるでその棺を迎えるために来てくださったかのようです。棺と言っても、今日私どもが使っているようなものとは異なって、蓋もない、死体がそのままむき出しで見えるような担架のようなものであったのではないかと言われます。まだ若い、そのひとり息子の遺体には、病の跡が見えたでしょうか。その死を引き起こした傷が残っていたでしょうか。そしてその側に付き添っている母親の悲しみをご覧になって、主は深い同情を寄せられました。神の心が激しく動いたのです。
主はこれを見て「憐れに思い」と訳されております。元のギリシア語の言葉を単純に読みますと、「内臓」という言葉に、動詞の語尾をくっつけただけの言葉です。私どもも日本語で、同じような思いを「胸が痛む」などと申します。ギリシア語を使う人たちは、むしろそのような感情を胸というよりは、お腹で感じ取っていたようです。
「お腹が痛い」。そのような思いに突き動かされるようにして、主イエスはその棺に近づき、というよりむしろその前に立ちはだかるようにして、「近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。周りの人は、それだけで既に、十分にびっくりしたと思います。この人は一体誰だろうか。そしてこの情景を書きましたルカは、死の力を、すべての者を死の中に落とし込んでしまう、死という大きな流れを、ひとりでせき止めてしまわれる主のお姿を既に読み取っていたと思います。主が棺に手をかけてくださった。そして主イエスはこの息子を母親にお返しになった。この物語は、その後、神を信じる者の行う葬儀の原型となりました。
この福音書が伝える物語は、そのような意味で私どもの心を打つものでありますけれども、しかしまた、他方から言えば、これは一度限りの出来事です。この出来事の後、人が死ななくなったわけではありません。死の悲しみがなくなったわけではないのです。今も悲しみが続いている。この教会の中にも。「ある母親の一人息子が死んで……」。その一言を読むだけで、既に心を刺されるような思いにならざるを得ない方が、ここにもおられるはずです。誰にも押しとどめることのできない、大きな死の力の流れというか、死の流れが作る歴史の続く中で、この主イエスのまことに小さなわざに、いったいどれほどの意味があるかと問うこともできると思います。そういう意味ではこの聖書の言葉を、例えば教会の葬りのわざ中で読むということは、一方では勇気がいることだと言うこともできるのです。「だってこの人は、甦らないじゃないか」。そう読むこともできるのです。
先週の説教でも同じようなお話をいたしましたけれども、私は今年の春、伝道者としての生活を始めて10年という節目の年を迎えます。10年前の春、長野県の教会に赴任して説教者としての生活を始めたばかりの頃、近くの教会の若い牧師たちと集まって、説教の勉強会を何度かしたことがありました。その最初の会を、私が赴任してまだ2、3ヶ月という時にいたしまして、この福音書が伝えるナインのやもめの物語を共に読みました。その時、伝道者としての生活を始めてほとんど間もない自分と、とにかく5年、6年と説教し続けている牧師たちと、同じ聖書の言葉を囲みながら、ずいぶん聖書の読み方が違うのだなと思わされたことがありました。牧師として、いろんな人の死に立ち会ってきているのです。それこそ、死者が甦るはずもない教会の葬儀で、こういう聖書の言葉をどのように読むことができるかななどと、ぐしゃぐしゃ考えてしまう自分とは違って、実際に教会の中で葬儀を重ね、死の不安と向かい合いながら、けれどもこの聖書の言葉に慰められてきた。生かされてきた。支えられてきた。そのような教会の歴史が、既に作られているのだという事実に気づいたのです。
ナインという町で起こったこの一度限りの出来事。しかし教会はこの一度限りの出来事をただ昔話として伝えてきたのではなくて、このような福音書の言葉があるから、いや、むしろこのようなみわざを行ってくださった主イエス・キリストというお方がおられるから、教会は生きることができてきたし、今もこのように生かされている。その教会の歴史は、動かすことができない事実なのです。そしてこの私も、この主イエス・キリストによって生かされ、支えられ、慰められる教会の歴史を作る者として召されているのだ、ということを改めて思いました。
そのように私が伝道者としての生活を始めた最初の年の9月に、墓前礼拝というのをいたしました。そこでも、このナインのやもめの物語を説教しました。その日は、非常に冷たい雨が降り続け、ガタガタ震えながら礼拝をしたことをよく覚えております。長い説教はできません。16節の「神はその民を心にかけてくださった」という言葉に集中するようにして説教をしました。先週もこの言葉について少し触れました。この「心にかけてくださった」という言葉は、「訪れてくださった」と訳すこともできる言葉であると申しました。私どもの教会でかつて用いられていた口語訳という翻訳では、「顧みてくださった」と訳しました。ただし、遠くから顧みるのではない。きちんと顧みたならば、その場所を訪ね、訪れてくださった。主イエスというお方が。今、ここにもおられる。
そしてその墓前礼拝の翌日、私が山梨県の方に出張していたときに、教会員の方が亡くなりました。やはり教会員であったお嬢さんがひとりおられて、体に大変重い障害を持っていました。親子共にめったに礼拝に来ることはおできになりませんでした。ちょっとお買い物に行くというだけでも大変です。けれどもそのお嬢さんは、入院しておられたお母さまを一所懸命に見舞っておられました。むしろそのことを自分の支えとしておられるかのようでした。
その日の夜遅く、山梨の温泉宿で電話で連絡を受けました。本当に力のない声で「母が亡くなりました」。その声をも忘れることはできません。電話口ではほとんど慰めの言葉を語ることができず、動揺しながら、「すぐに松本に戻ります」とだけしか言えませんでした。言葉を失うとはこういうことかと思いました。
帰り道、大雨のなか、しかも夜遅く、車を運転しながら、この主イエスのお言葉を思い起こしておりました、「主はその民を顧み、訪れてくださって」……「もう泣かなくともよい」。すごい言葉だと思いました。主イエス以外の誰がこのような言葉を語り得るかと思いました。中央自動車道を走りながら、私はひとりではないと思いました。主イエスが共に訪れてくださる。いや、主イエスが先に訪れていてくださる。私はその主イエスというお方のお供をさせていただくだけだ、という思いがありました。そのような思いに支えられて、10年間、既に何十人という方たちの葬りのわざに仕えることができました。主イエスが訪れてくださる。顧みてくださる。その主の訪れに支えられてのことです。そのようにして教会の歴史が作られてまいります。
この「顧みる」とも「訪れる」とも訳すこともできる言葉をルカによる福音書が用いました時に、もうひとつルカがそれと合わせて意識していたに違いない言葉は、既に触れました、13節の「憐れに思い」という言葉です。「お腹を痛める」とも訳せるようなこの言葉は、しかし、もともとギリシア語において、そんなに特別な言葉ではありませんでした。私どもも日常生活で普通に使うでしょう、「胸を痛める」と。ギリシア人もそのように、普通にこの言葉を用いました。けれども、新約聖書はこの言葉を非常に慎重に用いるようになりました。ここぞという時にしか用いないように、注意深く使ったのではないかと観察することができます。特にルカによる福音書は、この言葉を3度用いています。むしろ抑制して使っているのではないかと指摘する人もいます。そのルカによる福音書の注意深さのひとつの根拠になりますことは、大変興味深いことに、この言葉は常に「見る」という言葉、そして「近寄る」という言葉と、必ず共に用いられるという特色があります。
主イエス・キリストというお方が、憐れみの心を抱かれるという時、そこには必ず、「見て」、そして「近寄る」という行動が伴う。この「憐れに思う」という言葉がこの次に出てまいりますのは、第10章の33節であります。これは、主イエスが語られた非常に印象深いたとえ話のひとつで、善いサマリア人のたとえ、または、憐れみ深いサマリア人のたとえと呼ばれるものであります。主イエスが、たとえの中で語られたことでありますけれども、ある人が旅をしている途中に追はぎに襲われて、半殺しの目に遭って、その横を祭司が通り、レビ人が通り、しかし知らん振り。けれども、そこをたまたま通りかかったあるサマリア人が、「その人を見て」「憐れに思い」「近寄って」と書くのです。そしてこれは実は、主イエス・キリストの訪れを告げる言葉ではないかと、多くの人がそのように読んでまいりました。
もうひとつ、「憐れに思い」という言葉がその次に出てくるのは、第15章の20節です。これもまた有名な、放蕩息子のたとえ、失われた息子のたとえとも呼ばれる、主イエスの語られた忘れがたい物語です。父親のもとにふたりの息子がいて、その弟の方が父親の財産を譲り受け、家を出て行って、けれどもすぐにその財産を使い果たし、そこに飢饉が起こり、餓死しそうになって家に戻る、そういう物語です。「家に帰ったら父にこう言おう、もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません。けれども召使のひとりで構いませんから、どうか家に入れてくださいませんか」。ところがその息子が家に近づくと、「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を『見つけて』『憐れに思い』『走り寄って』、首を抱き、接吻した」。そう言うのです。見て、憐れに思い、走り寄って……。そのような神の訪れの出来事が、今日読みましたナインの町における出来事においても起こっております。そのようにして私どもを顧み、あるいは訪れていてくださる神の姿を、ルカによる福音書は、ここでも明確に読み取っていたのだと思います。「憐れに思い」、その主イエスの憐れみを、今も思い起こしつつ、教会はいつも死の悲しみと向かい合ってまいりました。この主イエスの訪れがあるから、放蕩息子を抱き寄せてくださった神の愛を知っているから、だからこそ教会は教会として歩むことができました。今もそのような教会の歴史が続いているのです。
この「憐れに思い」と訳されております言葉は、そのように神の心を描写するときにしか使われない言葉であると言われます。そのことの関連で、もうひとつ皆さんに心に留めていただきたいことは、13節で「主は」とルカによる福音書が書いていることです。この「主」という言葉は、聖書ではなじみ深い言葉だと思い込んでいるところがありますが、案外ルカによる福音書でこのような使われ方をすることは珍しいものです。11節でも「イエスは」と言い、12節でも「イエスが」と言い、しかし13節では「主は」と言います。ルカによる福音書がどんなに丁寧な思いを込めて、ここで「主は」という言葉を用いているか。主は深い憐れみの心を抱かれたのだ。それは、神にしか抱き得ない憐れみであり、それに続く「泣かないでいなさい」、「もう泣かなくともよい」という言葉もまた、主であるイエスだからこそ語り得る言葉であったのだということを、ルカによる福音書は明確にわきまえていたのだと思います。
「泣かないでいなさい」「もう泣かなくともよい」。牧師として葬儀の責任を担う時に、しばしばこの主イエスの言葉を思い起こします。しかしこの言葉をストレートに語ることはなかなかできない自分自身であることにも気づかされます。むしろ、何しろ私のことですから、「泣かなくともよい」どころか、自分自身が泣いていることの方が多いと思います。人間には語れない言葉です。主だからこそ、言うことのできた言葉です。けれどもそこで教会が何をするかというと、ただひとり、そのような言葉を口にすることができるお方を、ただひたすらに紹介させていただくだけです。
教会で葬儀をする時に、「けれどもこの人は甦らないではないか、今すぐには」、そのことに心を刺されるような思いで葬儀をしなければならないことが幾度もあります。「主イエス・キリストの憐れみがここにある」と言ってみたところで、どうにもならないような思いを抱くことが、やはりあるということを認めざるを得ません。そういうことを考えております時に、もうひとつ、こういうことを皆さんに考えていただけるとよいかなと思ったことがありました。
15節に、「すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった」という言葉があります。これも非常に印象深い言葉です。特に「お返しになった」というのはいい言葉だと思います。先ほど、列王記上第17章の言葉を読みました。そこにもまた「返す」という言葉が用いられておりました。「返してください。神よ、私の子どもを返してください」。切実な言葉です。「返して欲しい」。
けれども、ルカによる福音書の方では、この「お返しになった」という言葉を元のギリシア語で読むと、むしろ単純に「与えた」という言葉です。返したのではない、お与えになった。「返した」という言葉もなかなか味わい深いものがあると思いますけれども、そうすると、もともと母親のものであったのを、もう一度正当な所有者の手に返したということになりそうですが、原文のニュアンスは少し違います。もともと主イエスのものであったのです。それを与えた。新しい贈り物としてです。
先週、ある集会で、この聖書の言葉を教会の人たちと一緒に黙想をするという試みをいたしました。教会の人たちが本当に自由にこの聖書の言葉について思うことを発言してくださる。そこで非常に面白いなと思いましたひとつのことは、ひとりならず、何人もの方が、15節の「ものを言い始めた」という言葉に関心を持たれたことでした。「死人は起き上がってものを言い始めた」。蘇って、いったいどんな言葉を口にしたんだろうか。できることなら聞いてみたい。正直に申しまして、私はそのようなことに関心を持ったことは一度もありませんでしたので、これは面白い感想だなと思いました。しかしこういうことは、福音書は何も教えてくれませんから、推測することもできません。
しかし私は、むしろこの「ものを言い始めた」という言葉は、そのあとに続く、「イエスは息子をその母親にお返しになった」という言葉と合わせて理解すべきではないかと思いました。考えてみれば、言うまでもなく、このひとり息子がものを言い始めたという出来事は、そのあとも続いたのです。この息子はものを言い続け、母親と共に生活をしたのです。そして、この親子がこのあといかなる思いで、どのような言葉を交わし続けたか。むしろそのことを、私は関心を持って想像いたします。母親と息子のことですから、そんなに特別な会話をしたわけではないと思います。朝起きたら「おはよう」と声を交わす。「ごはんできたよ」「はーい」「いただきます」というような、何気ない会話を交わしながら、しかしこの母親は、「この息子は主が与えてくださったものなのだ」と、絶えず思い起こしたと思います。
そうすると、この母親と息子の関係もずいぶん違ったものになってくると思います。この後、この母親も、そしてこの息子も、いつかは死んだのです。母親が先に死んだでしょうか。もしかしたら、またもや息子が先に死ぬというような悲劇が起こったでしょうか。これはそれこそわかりません。けれども、もしそのようなことが起こったとしても、この母親は改めて、この息子を主が与えてくださったものとして、ありがたく受け止め直しながら、その息子の葬儀をしたと思います。どうしたって涙が流れたかもしれません。耐え難い悲しみを経験したかもしれません。けれども「主は息子をその母親にお与えになった」という、その事実を思い起こしながら、望みをもって葬儀をすることができたのではないかと私は信じます。そのようにして教会の葬儀の歴史がそこでも続けられた。主の憐れみに支えられて、主の訪れに支えられて、だからこそ、今私どもも主イエス・キリストをお迎えする礼拝を続けながら、この同じ場所で、教会の仲間の葬儀をするのです。主がお与えになった仲間として、そして主が憐れみをかけてくださった仲間と信じて、望みをもって葬儀をするのです。
ある聖書学者がこの箇所を説き明かす文章を読んでおりましたら、もうひとつ、神の訪れについて語る大切な言葉がルカによる福音書の中にあると指摘しておりました。まず、先週の説教でも申しました、第1章のザカリアの讃歌の最初と最後に出てくる「訪れ」という言葉です(第1章68節、78節)。それに加えてもうひとつ、今度は福音書の終わり近くに「訪れ」という言葉が出てくる。ルカによる福音書の第19章の41節以下に、こういう言葉があります。主イエスが十字架につけられる、その少し前に、遂に都エルサレムに入られた。いよいよエルサレムが近づき、都の姿が見えた時、「イエスはその都のために泣いて、言われた」。「もう泣かなくともよい」と言われたお方が、しかし、ここではご自身が涙を流しておられます。人びとの涙を拭うために来られたはずの主が、ここではたったひとりで泣いておられます。
「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」。
私どもの救いのためにエルサレムに来られた主、エルサレムを訪れてくださった主イエス。しかし人びとはその訪れに気づかないと主イエスは嘆いております。そのためにわたしはこの都で死ぬのだという思いを、涙を流しながら、明らかになさったそのようなお言葉であります。「もう泣かなくともよい」と言われた主イエスの、この涙を忘れることはできません。まさに主イエスの憐れみは、このような涙を通してもまた見えてくるものなのだと思います。
しばしば教会のこの場所で葬儀をいたします。いろんな人の葬儀をします。私自身が司式をしたわけではありませんが、これまで教会の中で出会った一番悲痛な出来事は、誤って子を殺してしまった人と共にする葬儀でした。経験しなければ分からないほどの悲しみであるのかもしれません。それこそ言葉を失うような思いを誰もが抱くところであるかもしれません。しかし、私どもの教会がなお望みを持って葬儀をするのは、この主イエスの涙を知っているからであるとも言えるのです。神は知っておられる。み子イエスを失う悲しみを。その悲しみにもまして、神にとって悲しいことであったのは、神の子である私ども自身が失われていたことです。だからこそ、神は主イエスを十字架につけられたのです。この神の圧倒的な悲しみに支えられて、教会はただひたすらに神の憐れみを告げ続ける。それが教会の作ってきた、いのちの歴史です。死に押し流されることのない歴史であります。ここに、いのちの群れである教会が建てられていることの貴さを、もう一度新しく受け止めさせていただきたいと、心から願います。お祈りをいたします。
主イエス・キリストの父なる御神、あなたの憐れみに支えられて、あなたの訪れに支えられて、そして、人知れず涙を流された主イエスの悲しみ、神の悲しみに支えられて、今ここに立つ私どもであります。主よ、憐れんでください。あなたの憐れみなくして、立ち得ない私どもです。その思いを新しく与えてください。あなたに向かう祈りの心を新しく与えてください。主イエス・キリストの御名により祈ります。 アーメン
カテゴリー: 2012 説教, 説教 パーマリンク