鎌倉雪ノ下教会
プリューガー・オルガン

1993年2月14日奉献

製作者 マルティン・プリューガー(オーストリア)


[プリューガー・オルガン仕様]
  私ども鎌倉雪ノ下教会では1993年の奉献以来,主日ごとの礼拝をはじめ,諸集会,教会音楽会などでこのオルガンを用い,豊かな讃美が礼拝堂に溢れております。

 以下にオルガンの仕様をご紹介するとともに,オルガン奉献にむけて歩み,オルガン奉献感謝の言葉をご紹介させていただきます。

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プリューガー・オルガン仕様



 鎌倉雪ノ下教会の新会堂は1984年11月に献堂されましたが,近い将来にパイプオルガンを奉献し,その時をもって献堂のわざが完結するものと考えて,私どもは熱い祈りのうちにその時を待ち望んでおりました。

 献堂当初より,アレン・ディジタルオルガンを使用してきましたが,数年を経て礼拝堂内の諸条件が整った頃から,パイプオルガン奉献資金の準備を始めたいとの要望が,音楽委員会から出されました。1988年春の教会総会においてオルガン指定献金会計の設定が決まり,少しずつ建造に向けての準備が始まりました。1989年6月にはオルガン委員会,同専門委員会が組織され,東京・神奈川方面のオルガンを見学し,調査研究に努力を重ねながら,具体的な建造者の選定作業に慎重を期してまいりましたところ,1990年2月に南甲府教会の横手征彦牧師ご夫妻が,たまたま来日中のプリューガー氏を建造者として紹介され,礼拝堂に案内して下さいました。プリューガー氏の積極的なご意見は,基本的に私どもの考え方と一致したものであり,同氏がオーストリアに帰国後直ちに提示して下さった基本計画のスケッチ,モデル,および概算額によって明るい展望が開けてきました。オルガン専門委員会は同氏が建造された山梨英和学院のオルガンを見学し,検討の結果,プリューガー工房に製作を依頼したい旨を長老会に答申しました。1990年4月の教会総会において,オルガン奉献献金会計の設定と,プリューガー工房に建造を依頼する件が議決され,3年間を目標に,予約献金を軸とした募金が開始されました。契約では,遅くとも1995年12月までに完成する予定でしたが,思いもかけず,このように早く奉献の日を迎えることができました。しかも鎌倉雪ノ下教会伝道開始75年の記念すべき年度内に献堂のわざが完結しましたことに,大いなる喜びをもって感謝を献げますと共に,プリューガー氏ならびに工房の方たちのご尽力,その他多くの関係者の方々のご協力に厚くお礼申し上げます。募金計画は今日に至ります間,教会員は勿論のこと,教会外の方を含めて実に多くの方々からの熱い祈りに支えられて,恵みの内に順調に推移いたしました。予約献金,予約外献金,外部の方々から献げられました献金以外に,事業収入として,毎年の不要品交換会,昼食サーヴィス,物品販売,教会員作品展,ブックバザール,各種の音楽会などを催しましたが,多くの方たちの奉仕と協力によって,当初の予想を遙かに越えた多額の収益金が献げられ,建造費総額4,350万円(本体建造費4,020万円)を満たすことができました。

 オルガン完成の日を見ることなく,既に天に召された方たちを覚えつつ,言い尽くし得ません感謝の思いをもって奉献に至りますまでの経緯を述べさせていただき,報告とします。

〔オルガン委員会委員長(当時) 村上 泰〕


神の言葉に仕えるために

オルガン製作者 マルティン・プリューガー

 私たちが甲府(山梨英和学院)に新しいオルガンの響きをもたらしたのは,ちょうど3年前のことです。その時そこのオルガニスト横手多佳子夫人から,鎌倉の福音主義教会(鎌倉雪ノ下教会)でも新しい楽器を求めているというお話がありました。そこで私たちは鎌倉を訪ね,加藤牧師の案内で教会堂を拝見し,その音響条件,空間環境などをよく見ました。一見して明らかなことは,現代風のデザインのオルガンでないと,どうしてもしっくりこないであろうということでした。とてもうれしかったのは,そこですぐに書いてみた私の最初のデザインプランをそのまま受け入れていただいたことです(もっとも,この最初のものが何といっても最善のものでしたが)。残念なことに甲府の場合にはオルガンのために提供された場所が楽器の響きには適切ではなかったのですが,ここは違います。響きがとても良いのです。

 それ以来私たちのすべての努力が実を結んで,オルガンは今皆さまがギャラリーにご覧の通りの姿を現しました。お約束をこんなに早く果たし得て,とてもうれしく思っております。

 このオルガンの響きは,南ドイツの典型的な響きを基にしている伝統的なものです。しっかりした樫材のケースに収められたパイプの数々は,ほとんどのオルガン曲を演奏するのに充分です。やわらかな,ひきこまれるような弱音,単音で美しく響くソロ用の音,鮮やかな復音の響き,そして輝くようなリード管の音色に至るまで,オルガニストは多様に変化を生むことができます。もちろん,さまざまな曲によるコンサートも立派にできるでしょう。このオルガン製作を,このような形でさせて頂けたのは,私たちにとって特別にやり甲斐のあることでしたし,大変名誉なことでありました。

 この機会にどうしても心からのお礼を申したいのは,相談にのって下さったり,力を貸して下さったすべての方たちに対してです。横手夫妻にもお礼を申します。夫妻がおられなかったら,私たちが日本にまで知られた存在になることがなかったことは確かです。同じように特に丁寧にお礼を申したいのは加藤牧師です。力を尽くして下さり,また何よりも私たちを信頼しきって下さいました。ほんとうにありがとう。もちろん私たちの宿の「女あるじ」久保田あやさんが,ご自宅に心あたたかく迎えて下さったことにもお礼を申し上げます。


 教会のみなさんが,しあわせの時にも,つらい時にも,このオルガンがいつもそばにある仲間になることができますように,そしてここに集う人々の心を,神の言葉に向かって開くためにお役に立ったらどんなにありがたいことでしょうか。


−Soli Deo Gloria− ソリ・デオ・グローリア
ただ神にのみ栄光がありますように



うつくしい調べとともに

鎌倉雪ノ下教会牧師(当時) 加藤 常昭

 私どもの歩みは驚きの連続です。夢見ることもなかった主のみわざに生かされる喜びです。新しい教会堂が与えられたことも,そこで思いがけぬ出会いがあり,救いが起こることも,私どもの計画にはなかったことばかり。しかし又神は私どもに夢を与え,それを成就してくださいます。私どもが心を注いだ礼拝堂に響くプリューガーオルガンの響きを聞いていると,ああ,これこそ夢に聞き続けていた音だという満ち足りた喜びが,そして感謝と讃美が溢れます。

 新しい教会堂にパイプオルガンを添えること,それは最初からの私どもの夢でした。しかし,教会堂献堂よりもオルガン奉献の方がむずかしいかと思うほど難渋しました。讃美を導き,礼拝のこころを深め,打ちひしがれた心にも慰めを与えるようなオルガン,それをどこに求めたらよいのか,そこで思っても見なかったプリューガーさんとの出会い,深い共感を覚えた率直な話し合い,そこから一挙に道が開かれました。やがてオーストリアの工房を訪ね,柔らかに,透明に,そして力強く歌う数々のプリューガーオルガンを聞きました。パイプオルガンは教会堂と同じように芸術品です。誰の作品が与えられるかが大切です。礼拝堂献堂に際して設計者稲冨昭さんと出会うことができたことに続き,プリューガーさんと出会い得たことは,表現を超えるほどにさいわいなことでした。

 プリューガー工房の人たちの組立て,整音の作業をそば近くで見守ったのは忘れ難い体験でした。信仰に生き,伝統に生きる職人らしいプライドを保ち,オルガンを愛し,喜んで黙々と作業に打ち込む姿。精魂を込めるというのはまさにこのことでしょう。詩編の言葉が胸のうちに溢れます。

新しい歌を主に向かってうたい
美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ (詩編第33篇3節)
  オルガンの響きに聞きほれていると,なぜこれほどに美しい楽器が作られ,何百年にもわたって歌い続けてきたのか,不思議な思いがします。プリューガーさんは300年も400年も寿命がある楽器だといいます。私どもの何世代もの後の子孫が,なおこのオルガンと共に讃美を歌っている姿を思い浮かべています。
主よ,あなたの慈しみが我らの上にあるように
主を待ち望む我らの上に (詩編第33篇22節)
 またルカ福音書第15章は,主イエスが語られた「失われた息子」の物語を記しますが,放蕩していた弟が帰宅したとき,父は祝宴をはり,「音楽や踊りのざわめきが聞こえた」と書いています(25節)。この物語をなさりながら,主イエスご自身がどのような音楽を聞いておられたのでしょうか。ギリシア語ではシンフォニアとなっています。罪赦されて父なる神のもとに帰ることができた,私ども神の子たちの喜びの歌,音楽を聴き,そして踊る姿さえ思い浮かべておられたのでしょうか。その主もまたオルガン奉献を喜んでいてくださるでしょう。

[プリューガー・オルガン全景]
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